備前焼窯元・作家紹介

窯元

木村一陽窯

一陽窯はJR伊部駅前本通りの真正面突き当たりにあり、周囲は老舗の窯元が軒を並べる。広い店舗にはいつもたくさんの作品を展示してあり、多くの愛好家をもつ窯元である。
一陽窯は室町時代までさかのぼる備前焼窯元の六家(窯元六姓)の一つ木村家の流れを汲む。池田藩(現在の岡山県)の筆頭御細工人を務めた木村長十郎が始祖。13代目木村長十郎友敬の次男木村一陽が1947年に木村総本家興楽園から独立して一陽窯を創設した。一陽は、国立京都陶磁器試験場で学び、備前に帰り、陶進舎を結成して陶芸活動に入った人である。勲五等瑞宝章を受賞、宮廷園遊会に招待され、また備前焼界初の伝統工芸士に認定される等、作家としても名を残す。
現代表は一陽の長男の宏造で1989年に就任した。「使いやすい器づくり」をモットーに生活素材としての備前焼を目指している。木村宏造はまた、個人作家としても活動をしている。

木村陶正園

陶正園はJR伊部駅前本通りの正面右角の伊部の中心地にある。花器、茶道具、酒器、食器等、幅広く制作。特に茶道具と花入は種類も多く、得意とする。新しい製土設備や大きな登り窯、沢山の陶工達を抱えて、備前焼の窯元としては最大の生産能力を持つ。
陶正園は窯元六姓の名門、木村総本家興楽園12代目木村長十郎友明の子木村正二により1913年に設立された。現代表の陶峰は、戦後中央大学法学部に学び、1962年に2代目に就任。戦後のきびしく長かった不況時代を乗り越え、今日の近代的大窯元に発展させた手腕は、大きく評価されている。「良い品を喜ばれる値段で」をモットーに、伝統を生かしながら現代生活にもマッチした作品づくりを目指している。

作家

木村宏造

1941年、窯元一陽窯の木村一陽の長男として備前市伊部に生まれる。1964年、金沢美術工芸大学彫刻科を卒業後、京都工芸試験所に入所する。翌年、伊部に帰り、父の薫陶を受けてロクロ技術を習得する。また彫刻技術を生かして陶像の制作にも精励する。
1971年に第一回日本陶芸展に入選以来、数多くの受賞を受けている。また個展も1977年より小田急新宿本店にて隔年に開催している。1989年より父の後を継ぎ窯元一陽窯の代表。
ロクロ物の花入や壷を得意とし、また日常使用される食器類も沢山作る。土味を生かした作品作りに精進する。岡山大学教育学部陶芸講師、(社)日本民芸協団公募展審査員、一水会陶芸部審査員、備前商工会議所副会頭等を務めた後、2011年に岡山県備前焼陶友会理事長に就任する。また同年、伝統工芸士に認定される。

柴田好浩

1964年生まれ。祖父は木村一陽。職人の仕事に憧れ、陶芸の道を目指す。1983年に叔父の木村隆明に弟子入りし陶技を学ぶ。1997年に棚板4枚、4列が入る大ウドを持つ登窯を築いて独立、初窯を出す。
すでに修行中から公募展には意欲的に出品し、1990年に日本伝統工芸展に初入選、2012年には、同展に4度目の入選を果たし、日本工芸会正会員に認定される。
よくつくるのは壺、花入、皿、陶板、酒器など。ろくろものを中心に、シンプルで使いやすいものを手掛ける。狙ってつくれる技術を身に付け、今後は完成度が高く洗練された作品づくりを心掛け、使う人の生活に溶け込むような作品をつくりたいという。
陶印は好浩の「好」をデザイン化したもの。

石田和也

1986年、備前市伊部に生まれる。高校卒業後、家業である備前焼の道へ進み、備前焼人間国宝 伊勢崎 淳氏に師事。その後イギリスへ移り、現地の陶芸工房で伝統技法や語学、文化を学ぶ。
作品は色のついた泥を用いて模様をつけるイギリスの伝統技法 スリップウェアや、ろくろの遠心力を利用し、ねじれを生かしたオリジナル技法 -螺法- を得意とする。貝や地層、氷河や鐘乳石など自然が創り上げる造形美からインスピレーションを受け、素材の特質を引き出すという備前特有の精神と薪窯で起こる変化や自然釉を融合させながら形にしていく。
2015年より始動したOxford穴窯プロジェクト(オックスフォード大学)では先導作家として招聘され、窯作りから制作ワークショップや焼成などの講師、また大学などでの講演を務める。2017年からはアメリカにも活動の幅を広げている。

横山直樹

1970年 岡山県瀬戸内市長船に生まれる。1991年に備前陶芸センターに入り、その後、川端文男に弟子入り、2004年に登り窯を築いて独立する。
作品の多くは「自然練込」という技法で作られる。「自然練込」とは、田の底5〜10mくらいから採れる地層の粘土を敢えて練り合わせることなく、掘り出したままの原土に近い状態の粘土で作品を作る技法で、表面には地層がそのまま現れる。地層から生まれた「土味」を殺さないように「ろくろ」は使わず、「手びねり」を用いる。土づくりを大切にし、備前土の持つ特色を追求していきたいという。
陶印は名前の一字「直」をデザイン化したもの。

松原晋司

陶芸に興味を持ち、1978年から伊部で備前焼研修。翌79年から3年間中村六郎に師事し陶技を学ぶ。その後、京都で施釉陶を作陶するが、1986年から再び長船で備前焼に取り組む。1996年に自ら設計した登窯を築く。
花入、水指、茶碗、酒器、鉢などはろくろ成形で、皿、食器は叩きづくりが中心。作品を成形したあと、さらに変形を加えたものが多く、特に酒器は扁壺、三角などの変形を好む。作品はひとつひとつじっくり時間をかけて作り、また作品が焼き上がった後の仕上げにも時間をかけている。丁寧な仕事で完成度の高い作品づくりを心掛け、つくり、焼け、個性がバランスよく表現された作品を目指す。
東京、宇都宮、岡山、京都などで個展のほか、各地でグループ展を開催。

中村真一郎

備前焼作家中村幹山の次男として生まれる。幼少より土に親しむ、陶芸家で身を立てようと、1968年、無形文化財藤原建の内弟子になり、四年間厳しい修行生活に耐え陶技を習得した。さらに1972年伯父の中村六郎に師事する。
個展活動に意欲を見せ、1981年から福島・岡山・大阪・名古屋・東京と次々に開催。愛陶家の批評を仰ぎ、中でも銀座三越での個展は好評だった。
よく作るのは花入、酒器、食器等である。父のきめ細かい作風とは対照的に藤原建、中村六郎の影響で大胆な造形を好む。また古備前の収集にも関心があり、作風に影響を与えている。

安田龍彦

1984年島根大学を卒業後、陶芸の道に入る。1988年窯元六姓の流れを汲む窯元木村陶正園に入り、木村陶峰、木村利正に学ぶ。1998年、和気郡佐伯町に半地下式穴窯を築いて独立。
2001年に狭き門である日本伝統工芸展に初入選。同展には異例の速さで入選を重ね、2006年に4度目の入選を果たし、晴れて日本工芸会の正会員に認定される。食器を中心に花器、酒器、茶器等をつくる。穴窯による土味を生かした、明るい温かみのある焼成。土にはこだわり、原土から水肥をして生成している。作品によって何種類もの土を使い分けている。丁寧に作品を作り、一年に一回のペースで窯たきを行なっている。穏やかで真面目な人柄。今後が期待される作家である。

クリストファー・レイヴェンホール

CHRISTOPHER RAVENHALL
1968年イギリス、ダービー州に生まれる。陶芸に興味をもち来日。1989年備前焼作家の多久守に弟子入りし、陶技を学ぶ。94年窯元六姓の流れを汲む窯元木村一陽窯に入りさらに修行を重ねる。1999年岡山県赤磐市石連寺に穴窯を築いて独立。
よく作るのは日常で使える食器類で、酒器、花器等もつくる。日本人には無い外国人ならではの感性による造形が魅力。特にユニークな形をしたカップ類が多い。最近では古代ケルト民族の陶器に影響を受けたという。個展活動に積極的で、全国各地で個展を開催している。今後のさらなる活躍が期待される。陶印はイニシャルのCRをデザイン化したもの。

天野智也

1968年 三重県四日市市に生まれる。1989年愛知県立瀬戸窯業高等学校 陶芸専攻科を終了後、永末隆平に師事。1994年窯元木村陶正園に入り10年間修業する。2005年岡山県赤磐市佐古に半地下式穴窯を自作築窯して独立。
食器、花器、茶器、酒器等をよく作る。特に食器には力を入れていて、デザイン性に優れていながらも、使いやすい食器を心がけている。また、土味を上手く表現できるように土の特性により、ろくろ、手びねり、たたら、紐作りなど、技法を使い分ける。
07年に初個展。以後、毎年、岡山や東京でに精力的に個展を開催。

小橋順明

1976年 岡山市に生まれる。1997年 香川大学入学。倉石文雄氏(香川大学教授・現代陶芸家・美術家) に美術陶芸を教わる。2000年 香川大学教育学部美術陶芸専攻卒業。2002年 同大大学院修了後、備前焼作家 鷹取閑山に師事。2005年から三年間、備前焼窯元 泰山窯で修業を積み、2008年に独立。
食器を中心に茶器、花器、酒器等をつくる。急須は学生時代から特に力を入れているらしく、精巧な作り。カップ類には薄作りで、モダンなデザインのものある。窯は登り窯で、焼色は桟切を中心に青備前も狙う。
東京、岡山、香川などでグループ展を毎年開催。
かがわ・ものづくり学校監事、丸亀アート倶楽部陶芸講師を務める。

渡邊琢磨

1968年生まれ。関西大学卒業後、1991年、備前焼作家の山内厚可に弟子入りし、陶技を学ぶ。1996年、窯元備前陶苑に入り、引き続き修業。2006年に穴窯を築き独立。
食器を中心に花器、酒器等を作る。ろくろで成形した後、面取り、手捻り、象嵌などひと手間加え、変化を付けた作品が多い。穴窯の他に還元焼成用に小窯も築き、青備前なども狙う。陶印は琢磨の「琢」の王偏をデザイン化したもの。

原田良二

1977年生まれ。二代目原田陶月の長男。備前陶芸センターを終了後、2000年に祖父と父について陶技を学ぶ。2001年に独立。
窯は父の登り窯を使い、紫蘇色、窯変などを狙う。よく作るのは食器、花器、酒器等。主にろくろ成形で、作品により紐作りも用い、柔らかい曲線を意識して作る。造形では使いやすさを重視している。弟の原田良二も備前焼作家。

原田圭二

1978年生まれ。二代目原田陶月の二男。兄は原田良二。備前焼作家の家庭に育ち、自然に備前焼の道へ。祖父と父に師事し陶技を学ぶ。1997年に独立。
窯は兄と共に父の登り窯を使う。花器、酒器を中心に、傘たて、甕などの大物も制作する。備前の伝統を大切にしながら、独自の作品作りにも力を入れている。数種類の発色の違う粘土を層ができるように混ぜる、練り込み技法に磨きをかけたいという。陶印は圭二の「圭」をデザイン化したもの。